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WEBデザイナー・ジン カズヒトのブログ

2007・07・28

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「日本沈没」
もちろん、”ツヨシ”のではなく”ヒロシ、”の方です。
昔の日本映画の良さは「媚びてない」ところ。
最近の邦画は良くも悪くもサービス過剰なのです。迫力のCGどーん、爽やか俳優陣ばーん、涙あり笑いあり息を呑むアクションありのエンタテイメント超大作!ずどーん!
それはそれで悪くないけど、痒いところに手が届きすぎてくすぐったい。
一方、この映画を含め70年代あたりの映画には、そんな過剰なサービス精神など皆無。唐突、強引あたりまえ。
「こっちは身を削って映画撮ってるんだ。だから見るほうも裸でぶつかって来い!喰らいついて来い!」そんな心意気が感じられます。撮る側と観る側のぶつかり合い。それ以外に余計なものはいらない。
そこにあるのは「何も足さない、何も引かない」の精神。
まぁ、ただ映画を作るのに必死なだけ、という気もしないでもないけど。
大地震が起こるにしても、その予兆を見せて徐々に盛り上げたりなどしません。いきなり画面が大きく揺れたと思ったら、それまでの雰囲気を無視して唐突に現れた模型の街が問答無用に爆発炎上し、カメラはパニックを起こし逃げ惑う人々を延々とシューティング。いきなり展開される怪獣映画のノリ。あまりにも唐突な円谷イズム。
そしてなんだかわからないうちにテロップ一発「死者 360万人」。返す刀でナレーション「そして三ヶ月が経過した」。
ラストシーンでは何の予兆もないまま唐突に打ち込まれる「終」の文字。大胆という言葉では済まされない怒涛の展開。観るものを容赦なく置き去りにしたまま、映画は一足も二足もお先に光の速さで明日へダッシュしてしまうのです。
そんな暴挙を帳消しにするのが、燃え盛る東京を目に苦悩する総理大臣を演じる丹波哲郎の、地獄の業火にも勝る暑苦しい存在感。
”あのタンバが苦悩!”その得体の知れない説得力だけで全てを”アリ”にしてしまう。これが大霊界の力なのでしょうか。
そこにとどめの一撃、藤岡弘、。
もう丹波の濃さを消化するのに手間取っているのに、そこに容赦なく投入される藤岡ソース(特濃)。胸焼けは必至。
富士山噴火の報を電話で聞いた瞬間の、血走った目を見開き言葉を失って硬直する藤岡のアップ。このシーンのお顔いっぱつで、藤岡をキャスティングした甲斐があったといっても過言ではないでしょう。
これほどの濃さをお見舞いしてくる作品が今日の日本映画で作られるでしょうか。ともすると過剰とも思えるほどの濃い役者と荒々しい、というか単に荒い作り。これが70年代日本映画の魅力です。
ポイントはディープ&アグレッシヴ、これです。
洗練された最新の作品にはないアクとこってり感。古き良き映画のそれを味わう度に身体が熱くなります。
だからやっぱり僕にとっての興奮剤は、”ツヨポン”よりも”ヒロポン”なのです。

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